〈ブログ限定〉学歴コンプ解説

現在Lovelyさんと、私のInstagramで連載している「学歴コンプだけど上京してモテたい」について、省略した話などを…

中学時代

中学の時私は美術部で、絵を描くのが楽しくて楽しくて仕方なかった。毎日好きなアニメの話をしてはあの回がよかっただの、このキャラの性格はどうだの、ベタベタのオタクをやっていたのだが、中学2年の時に顧問の先生が20代の若い先生に変わって、私の美術部人生は180度変わることになる。今まで全く興味のなかった風景画を描かされることになり、最初はいやいやだったのが、教えられたことをやっていくうちに自分の画力(表現方法?)がどんどん上がるのを感じ、そこから私は高頻度で大会に出品しては賞をもらうことになる。

当時、彼氏がいた。付き合うと言っても中学生のお遊びのようなもので、一緒に帰ったり花火大会に行ったりその程度なのだが。その彼がとても勉強できたのである。もともと中学に上がって最初のテストで学年3位をとってから落ちぶれた私にとって、勉強ができる人は努力ができる・尊敬できる存在であった(今もだが)

しかし、付き合いが長くなるにつれて彼の性格は豹変して行った。

私が絵で賞をとっても喜んでくれず、むしろ「俺はこんなに部活も勉強も頑張っているのに、なんでお前なんかが賞をとっているんだ」という、今で言うモラハラのような態度を取られるようになった。当然、私は悲しいし、なんでそんなことを言われなきゃいけないのかわからなかった。

 

 

時は立ち、中学3年になり、私は進路で悩むことになる。付き合ってる彼氏は頭がいいから当然のように一番頭のいい高校に行くだろう、しかし自分は絵ばっかり描いているので成績は横ばい(200人弱の学年で70位とか)、得意科目もこれと言ってなく、当時の地元には美術専攻の高校なんてないため、真ん中くらいの高校を狙うだろうとみんな思っていた。けど、残念なことに山田は恋愛脳で、「絶対に彼氏と同じ高校に行きたい」という不純な理由で勉強を始めるのである。

一番出来なかった教科はもちろん英語で、漫画の通り、一般動詞とbe動詞の区別がついていなかった。本当に初歩の初歩から英語を勉強し直したのである。しかし、独学には限りがある。親につきっきりで勉強を教えてもらっても全く集中できず、むしろできない自分を見つめ直さなければならない恥ずかしさから泣きながら勉強していたし、父親に飛び蹴りされたのも確かこの頃だった気がする。本当に英語ができなかった。

 

転機

私の成績が上がった理由として、小さい塾に通い始めたことが大きいと思う。この塾は美術部の顧問が教えてくれたとっても小さくてオンボロなところだった。トイレは和式だし、階段はボロボロだし、扉の立て付けは悪い。もちろんエアコンなんてものもない。私はここで道明寺に出会う。道明寺との出会いは今度詳しく描くとして、この塾が本当に、無法地帯のような場所なのだ。

確かに教え方もうまいしわかりやすいのだが、ここの英語の先生がとにかくできないことを馬鹿にしてくる。なんなら、田舎の中学校なのに、学区なんて自分の力じゃ選べないのに、どこの中学校に通っているかだけでかなり対応が変わってくるのである。今思うとすごい塾だよ本当に。私が通っていた中学は数年前まで窓ガラスが割られ、警察が頻繁に出入りするような治安の中学だったので、当然馬鹿にされる対象になったわけである。

これが逆に山田の心に火をつけた。絶対に馬鹿にされたくない。「あの中学校なのに勉強できるなんてもったいないな!」と言わせてみたい。この一心で私は休みの日も夜遅くまで塾に通い続けるのである。

 

この頃から、私は勉強が楽しくなり、彼氏が邪魔だとはっきり考えるようになる。自己中な女。勉強の邪魔な上にモラハラまでしてくるんだからと、結構思いっきり振った記憶がある。秋の出来事。こうなるとモチベーションは「頭のいい高校に入れば体育の授業が緩くなる」というこれまた不純な?動機だった。

ちなみに当時の勉強時間の配分は、家に帰ってからはひたすら英語と社会。国語・数学・理科は学校の授業を受けて、朝登校してくる先生を捕まえて始業時間までみっちり質問、不得意な分野のプリントをもらって次の日提出という、優等生の模範のような生活をしていた。のにもかかわらず、こんな生活でも絵を描くのをやめていなかった。2014年のソチオリンピックのフィギュアスケートを見ながらリビングで描いていた思い出があるから、受験ギリギリまで絵を描き続けていたことになる(私は高校に2014年入学なので)。

今思うとどこにそんな元気があったのか、私が器用で要領がいいのか、この頃から他人との能力の差を実感していたと思う。この能力の差というのは、勉強ができるできないではなく、好きでやりたいことならどんなに忙しくても全部やり遂げたいという完璧主義に近いものである。私は後にこれで苦しむことになるのだが。

 

 

入試直前のテストで学年3位を取り、私はあっさりと第一志望校に入学した。このテストでは元彼よりいい順位だったと風の噂で聞いた。誇らしかった。やればできるんだと自信がついた。

モラハラの元彼もちゃんと同じ高校に入学したが、高校を卒業して、別の大学に入り、成人式の同窓会で会っても、ちゃんと話をしてくれなかったので、多分私は相当恨まれているんだと思う。ごめんね。彼は結局ずっと頭が良かったし、国立大学に入っていった。これもきっと学歴コンプに関わっているんだろうな。

 

「本当にそんなことあるんですか?」

あったよ!

道明寺と電話をしながら当時を振り返ったけど、「ぽむちくんは本当に英語ができないよね〜〜」と言われたので、頭の悪さをサバ読んでるとか、面白くするために頭を悪くしてるとか、そういうのは一切なく、本当に英語ができなかった。一つの教科ができないと「私は勉強ができない子なんだ」と思い込むようになり、それがまた勉強と向き合わないことに拍車をかけていたと思う。

 

しかし、あ〜勉強できるってダサいことじゃないんだ、全部頑張れるってかっこいいことなんだと思えたのが一番で、私はとにかく誰かを目標にしながら生きるタイプの人間なのだ。私は幸いなことに2人も憧れの人が近くにいた。

塾を紹介してくれた美術部の顧問が、そこの塾から私が目指していた高校に入ったというエピソードも大きかった。顧問の先生は二日酔いで部活に来て、美術室の後ろでいびきをかいて寝ているような豪快な人だった。それなのに可愛くて話も聞いてくれて、他の先生より若くて年が近かったこともあり、すぐに憧れの存在になった。

塾での道明寺がカッコ良くて、それに憧れていたというのもある。ここで初めて言う。当時の道明寺は細くて手足が長く(今も細いよ)、それでいて黒髪ロングで、寡黙なのに勉強もできて塾の先生からの信頼も厚い、そのうえ部活もいい成績をとってる、みたいなとにかくめちゃくちゃすごい人だった。めちゃくちゃすごいと思ってた。中学卒業するまでは。

 

それから、親への反骨精神も大きかった。勉強をみてくれたのは父親だった。私は当時父親がたまらなく嫌いで、そんな父親に怒鳴られながらやる英語はそれこそ文字通り「死んだ方がマシ」なものであった。私の第一志望校は父親の母校でもあり、それもたまらなく嫌だった。でもそこより頭のいい高校なんてない。そこへ行くしかなかった。そこへ行ったら親から何も言われなくなるだろうなという、それにすがって勉強した。

高校に入学できて、一番嬉しそうにしていたのは父親だった。

 

 

大学AO入試

「でもAO入試落ちてんじゃん」というDMをいただいた。落ちてるよ

言い訳はきわめてダサいけど、事実として私の代からAO入試の枠がマイナーチェンジ(?)し、帰国子女もAO入試枠で受験できることになったことが大きい。同じ高校から同じ大学のAO入試を受けた友達も、入試当日「今年は帰国子女で埋まっちゃうね」と肩を落としていた。国立大学のAO入試は門が狭すぎた。

毎日私立図書館に足を運び、専門書を読み漁った。ただ、この時期があって私の思考が形成されているので、AO入試に挑戦したことが一概に無駄だったとは言い切れないのが皮肉である。落ちたならもういっそ全部無駄になってくれた方がすっきりするのにな(?)

 

余談

ツイキャスでネタバレをしたけど、この話にはスピンオフが計画されているので是非待っていて欲しい…。結構めちゃくちゃなスピンオフ、3話くらい。それから再三のお知らせになるけど、Lovelyさんの方での先読み、たくさん読んで欲しい。お願いします。モチベに数字が直結するタイプ。

久々のブログ更新になっちゃった、道明寺との話とか、ブログで先読みできればいいなあと思ってる。頑張ります。

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